御用留

 鶴田家文書は400点ほどであり、村方文書としては、それほどの量ではなく、まとまった ものとは言えない。しかし、その中には、約30冊の「御用留 」がある。享保期(18世紀前半) から幕末にわたるが、寛政年間から文化初年(18世紀末〜19世紀初め)のものが、もっとも 揃っている。
 「御用留」は村に起こった出来事に関する記録、村からの訴願、幕府や藩から伝えられた 法令(達、廻状など)等を、名手が記録していく帳簿である。お上へ提出するものではないから 不要になった帳簿を解体して裏返しにした紙が使われたりして、読みにくいが、准公式文書 の記録として、極めて重要なものである。
 これは主として、領主である水戸藩の北郡の郡奉行(こおりぶぎょう)を通して下達された 、幕府や藩の「御触れ」の留め書きであり、とくに水戸藩の農政関係の法令を、逐次知ることができる。 他に本館所蔵の中崎家文書(那珂郡鹿島村)にも、天明〜幕末の「御用留」(御触と願書の留め書)が約60 冊あり、相互に補って、水戸藩の領国とくに農村支配の法令をたどることができる。

解説:河内八郎 元人文学部教授(故人)


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